2016年12月8日木曜日

191日目:箱

「先生はずっと先生だよ」

高校時代の先生が先日話していたことを思い出した。


ふと、事務所で教師の話となる。

この話を上司にしてみた。

「確かに。順当に行けば、7歳から小学校に通い、中学校、高校を卒業後、大学へ進む。大学を卒業後、先生となって、早期退職なら55歳、普通にいけば60歳で退職。先生はずっと学校から出られないんだよ」

そりゃぁそうだ。

先生はずっと先生であって、ずっと学校という『箱』の中にいる。

「退職後、塾の会長とかになる人もいるらしい。先生はずっと先生でいるしかないんだよ。それしか、生き方がないから」
先日、現校長先生と話している中で聞いた言葉。

それ以外の生き方・・・
ないのかな。


確かに。
『先生』という職業が天職な人もいるだろう。
だから、大学を卒業後先生一本で行く方もいらっしゃるのだろう。
教職員免許を持っている人で、過去に教鞭をとった、今は別の仕事についている。そういう人もいる。

自分が先生に向いていないから?
多分、向いていないから。
寧ろ、将来を考えると、閉塞的空間、学校という『箱』の中で半世紀を費やすのが勿体無いとも考えての結論で、教職を辞めたのだろうか。
その勿体無い免許はどうなるのだろうか・・・


無論、私には教職は向いていないだろう。
半世紀も同じ事ができない。
歴史は走っていって、技術も変わり、道徳も変わる。
それに対応できるだけの器量ももっていない。

『箱』がなんなのか。
知りたい気もした。
それは本当に『箱』なのか。
紙なのか、鉄なのか、ガラスなのか。

ぶち壊して、中から出てみればいいじゃない。

そう簡単にいかないからその人にとっては『箱』なんだろう。


かと言っても私も『箱』の中の一人の人間。
教職とは別の『箱』。

私は『箱』という一社会で大人しくしていられそうもない。
否が応でもぶち壊すだろう。
そんなものは、時間と意志でどうにでもなる。

柔軟な発想、強靭な信念、曰くは経験値の豊富さ。
膨大な情報、全てを一人生で得られない事は事実。
せめて人であるなら、人の話を実体験として心に留めて置きたい。
それが、糧になる。


何を言いたいかって。
自分の話をするより、人の話を聞いていた方が、引き出させた方が勝ち組になる。
そう思った。

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