2017年3月31日金曜日

303日目:ドライアイ

死に急ぐような事象を乗り越えてみると、涙腺は意外とドライになる。

現に私は、簡単には泣かない。


3月25日。
娘は無事に卒園を迎え、4月1日以降小学生となる。
予定だ。

卒園式当日。
我が子の今までとこれからの成長を想い、子供達の苦難を乗り越え、楽しんできた日常を振り返る卒園式。

様々な催し物を目の当たりにし、泣く…
という気配もなく、家族では妻だけが泣き、涙腺の堅い私と娘はドライに園を後にした。
そう、クール(so cool)に先生方に挨拶をし、園を去ったのだった。
それが卒園式の思い出。


卒園してから数日後の昨夜。
菓子パ(1ヶ月に数度。お菓子や肴を広げて夫婦はお酒、娘はジュースを飲む。要は料理する事が面倒な時に使う業)を行った。

よくアニメを見ながら、アニメについて語らう菓子パなのだが、昨夜だけはTVを点けず、飲みながら、食べ散らしながら語らいの場となった。

なんの拍子だっただろうか。
酔っていたから、よくは覚えていない。

しかし。
これだけは覚えている。

「パパとママの子供でよかった~♪」
娘のセリフ。

「・・・。全く何言ってんだか」
(なんだったんだ…)
何と無しに飲みきった焼酎のおかわりを作りに、なんとなしの足早でキッチンへ。

「何?え?泣く?ってか泣いてない?!」
空気読めよ、妻。

「はぁ?!誰が。」
「ねぇ。」
「今のは、ねぇ」

親子して、苛めるのかコイツら…


まぁ、いい。
6歳の娘の口から、「菓子パをしてくれてありがとう」というような煽てにも、ああいうセリフを頂けたのは親として嬉しいことに違いは無い。

焼酎のおかわりを作り終えテーブルへ戻ろうとしたとき、園と一緒に荷物と親の想いを運んでくれた、しっぽりと草臥れた鞄を目にした。
ジャラジャラと付けたキーホルダー類が目に付く。

(これは…あの時の…)
産まれた時に働いていた時の販促品。
その後の、販促品。
いらないだろうなと思っていた、私の歴史もジャラジャラくっ付いていた。

それ以外にも、祖父母や友人に貰ったジャラジャラが目立つ。

私達家族以外からの助けがあっての今。
であり、今からの鞄についたキーホルダー。

なんだろう。な。


あぁ。
今年の花粉は昨年の4倍だったっけか。
昨年は、一昨年の何倍だったか。
何が基準なんだか分からない花粉たち。

それともアニメとソシャゲのしすぎのドライアイか。

目が潤んで仕方がない昨夜。
年度末に想いを寄せた。

2017年3月7日火曜日

279日目:徒歩

「おふ…白米やん…」
流石にツッコこまざるを得ない状況に、独り落胆して呟いた。


最近、爆食のおかげで米が無い。
正確に言うと『玄米』ならある。

寒の戻りなのか、春の訪れなのか分からない強風の中、黒のスキニーパンツ、紺のダウンを羽織って、1キロ先程にある精米所へ向かった。
肩からは重さ約10キロの米。
米袋には「伊佐米」と大きく書かれており、若干でもいいからオシャレに担ごうと、無理矢理に肩から提げてみた。
しかし、少なからず恥ずかしい姿だった。

風が強い…
くしゃみをしては、
(花粉症かよ)
(んが。口に葉っぱが!)
(あ~肩が千切れる)
内心ヤケクソで歩いた。


歩いて15分。
精米所へ到着。
中は冷暗所という具合に太陽の光が入っていない。
そそくさ精米作業に移りたいところが、肩から提げていたせいで、米袋の紐の結び目が硬くなっていてなかなか開けられない。

もぞもぞしていると、ここの主あるしき人に見られていた。
(白昼のアラフォーがそんなに珍しいか?)
なんとなくの辱め視線を浴びながらようやく御開帳に至った。

若干の暗闇でもはっきり見えた。
「おふ…白米やん…」
中身は『玄米』ではなく、堂々とした『白米』だった。

3度程、米を手で掬い、『玄米』ではなく『白米』であることを確認し、そのまま何も見なかったように、再度紐を結ぶ。

「お邪魔しました~」
主に乾いた挨拶をして精米所を出た。


向かい風のおかげで、無言の徒歩行軍。

肩の痛み?
それより…
こんな羞恥プレーあるんだな。

そして…
また紐が硬い!