2017年10月28日土曜日

512日目:百聞は一見にしかずと言うけれど

読唇術。
俺は、使え…ません。

人の唇なんてずっと見ていられない。
ってか、恥ずかしいでしょ。

ことわざ「百聞は一見にしかず」。
聞くよりも見たほうが情報量は100倍。
はい、短縮解釈です。


情報量の把握として、見る、聴くは重要な事。
見る、聴くの情報量は「見る」が圧倒的に有利だとは思うけど、聞こえないとはどういう世界なのか…

眼鏡っこの自分としては非常に興味深い世界でもある。
手話は置いといて。
人間、人の進化の上でコミュニケーションが発達してきた。
ならば、見るだけでコミュケが取れるか?
俺はそうは思わない。
人と語らって、無駄話して、情報を無駄にインプット。
対人において最も重要な箇所は「聴き上手」であって、そこから導き出されるアウトプットが企業で活躍すると思う。

ダーウィンの進化論ではないが、コミュケができるからこそ、人間は集団行動が円滑にでき、機能を発揮するものだと思う。


聴く。聞く。
意味合いは変わってくるけれど、「きく」という行為自体は非常に大事な位置づけとして認識していた。

それが。
聞こえない世界となると。
見えない世界も怖い。が、聞こえない世界、意思の疎通が出来ない事は視覚で補っていても、勘違いなどが起きて逆にストレスを負うと思う。


近親者。
若いので補聴器をつけることになりそうな人がいる。
今はお試し中でレンタルしているだけだが、装備したとたんの反応は、笑顔だった。
聞こえてない細部まで聞こえるのだから、そりゃぁハッピーだろう。

最近の補聴器はおしゃれ。
ちょっとだけ拝借させてもらったが、健常人にはうるさいと思うほど、リアル音でクリア。イメージがデジタル音だっただけに、ナチュラルに聞こえる補聴器はこの上ない医療機器だと思う。
ピンポイントで聞きたい音域だけをブースト。
いらない音域はカット。
様々な機能が本の2センチほどの小型機器に搭載されていた。
それが、ピンクやブルーなどオシャレで装備していることさえ、こちらが忘れるくらい会話が成り立つ。
外見では装備していることすら分からない。
なんて技術の進歩だ!


とりあえず1週間のレンタルだが、「聞こえない」ストレスから解放されるなら、大枚を叩いてでも、心の安定には繋がるはず。

初めての世界。
少しばかりの不安はあるだろうけど、初めて眼鏡をかけたときの2~3日の酔い感はあるかもしれないが、乗り切ったら更なる幸せが待ち受けていると、笑顔をみて感じた。


心身の何かが欠けている。
パーフェクトな人間なんて存在しないのだから、ちょっとぐらいの欠陥人間なんて許容範囲でしょ。それが、機器、器具、薬で補えるなら、進んでお試しから挑戦してみるのは悪くは無い。と、思う。

『聲の形』でもあったでしょ。
個々で生きていくのも自由だけど、楽しい事は共有したい。
これが、人として幸せのまず一つなんじゃないかなぁ。
とか、思った今日の補聴器の話。


迷ったら、まず相談。
貴方の話、聞いてくれる人は必ずいる。
ノーと言われるのも覚悟で、調べに調べまくって、明るく自分のなりたい将来像をプレゼンしてでも、幸せは掴む物。

「世の中にはね。 受け入れるべき運命と、 あらがうべき試練があるの」

越えられない試練は用意されていない。
それが、理ってもんでしょ。

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